旅の終わりのはじまり
みんなハッピーエンドが好きだ。でも、いつもそうはいかない。たぶん今回も。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』のトニー・スタークの言葉が、これからの話にはしっくりくるかもしれない。
でも、この話がいつか誰かの一歩の手助けになったらいい。そう思って記録に残すことにする。
前回の日記から1年が経ってしまった。
妊活はボチボチ続けていたのだけど、良い報告ができないのに加えて、治療が高度になるにつれオープンに書けないことも多く、筆が止まっていた。
その間も我われに寄り添い、力を貸してくれたドナーファミリーには感謝しかない。
ポリープ手術から1年後の夏。
私たちはサノスに指パッチンをされた後のアベンジャーズぐらい失意の底にあった。
去年から人工授精に何度かトライしてきたものの結果は出ず、年齢的にも次のステップに進まなくてはいけない状況だったが、法律上の夫婦ではない我われには手段が限られていた。
それと同時に、私自身は『妊娠』というものに対するココロと身体のアンバランスに気づきはじめた。
卵子を育てるホルモン注射を打つと、胸が張ったり、身体が少し丸みを帯びたりする女性的な変化がみられる。
これは生理前後に起こるような些細な変化であって、普通の人なら気づかない程度のものだと思う。
ただ、X(中性)の私にとって、薬で女性に傾く身体が地味にストレスだった。
子どもは欲しいけど、私が産むのは機能的にもセクシャリティ的にも無理ではないか。
そう思いはじめて奥さんと相談したが、最後まで私の遺伝子をもった子どもにこだわっていた彼女には辛い現実だったと思う。
しかし、2年間 痛みを伴う不妊治療を行うパートナーを横で見守りつづけ、それを受け入れるしかなかった。
選手交代をするか、それとも妊活自体をあきらめるのか。
決断のときは迫っていた。
そんな状況の中、思いもよらないチャンスが巡ってきたのだ。
我われが一番望んでいた形が現実的となった。
もちろん私たちとドナーファミリーはそれにトライすることにした。
妊活を止めるにしても、上手くいかなくても、最後に理想を叶えてみたかったから。
しかしながら結果は惨敗。
ダメ押しに身体もサイフも痛い思いをして、年齢にしては奇跡的にたくさん採れた卵子が全滅するという事態に。
正直、こたえた。
期待してしまったから余計にダメージが強かった。
子ども自体 いてもいなくてもいいと思っている私ですら、卵全滅の報告を受けたときはトラウマになるくらい辛かった。
スーッと血の気が引く感じがして、そこからどうやって家まで帰って来たのか記憶が曖昧。
あまりに動揺したせいで1人で消化しきれず、まだ仕事中だった奥さんに電話してしまったことだけが本当に悔やまれる。
奥さんは2日間泣きつづけて目がショボショボになっていたし、私は痛ましい彼女を見ていられなくて、お菓子を焼いて気を紛らわしたりしていたけど、どうしても頭をよぎることがある。
これが男女の夫婦だったら、
同性婚が認められていたら、
もっと同性カップルの妊活が受け入れられた社会だったら…
病院やドナー探しの苦労もなく、2年前に同じ治療にトライできて、私たちが支払った税金から助成金も受けとることもできたかもしれない。
そう思うと言いようのない悔しさでまた泣けてくる。
そんな悲壮としかいえない週末を過ごして、少し見えてきたことがある。
私たちは過信していた。
高度な治療を受ければ、子どもはそのうち授かるものだと。
世の中には体外受精や流産を何度もくり返して出産される方も多く、悪い結果も自然と乗り越えていけるものだと。
同性ゆえに妊活に関して共感できる部分も多いが、それはプラスでもありマイナスでもある。
共感する分、残念な結果のダメージも大きい。
久しぶりに日記書いたのにお通夜な話ですみません。まだちょっと重い内容がつづくかも。
ただ、ドン底から学んだことも多く、2人の関係にも大きな変化があったことはこれから少しづつ書いていきたい。