アラフォーがいじめっ子に勝った話
秋の夜長、学校へ行けなくなった子と話していたとき、彼女が「どこへ行っても苛められる。」とぽつりと呟いたのを聞いて、胸の奥底がチリリと傷んだ。
そう、残念ながら世の中には「いじめられやすい人」が存在する。
ちょっと変わっていたり、不器用だったり、相手に対して強く出ることが苦手だったりする人はターゲットにされやすい。
人類を「いじめっ子」「いじめられっこ」「日和見の人たち」の3タイプに分けるとしたら、私も確実に「いじめられっこ」のグループなので、彼女の気持ちはよく分かった。
中学校では有りとあらゆる嫌がらせをされて不登校にもなった。
教科書などの私物は破かれたり隠されるので、すべての荷物を鞄にぱんぱんに入れて持ち歩くのが常だったし、道では顔も知らない上級生から罵声を浴びるので、授業が終わると一目散に家へと逃げ帰っていた。
はじめは理不尽な敵意を向けられても受け流せると思っていたけど、その考えは甘かった。
心と身体は正直だ。すぐに限界はきた。
たとえ1ミリも好かれたくない相手であっても、ひとから嫌われるのはとてつもなくエネルギーを消費するのだということを知った。
いじめっ子というのは人の心をえぐる欠点を見つけるのが実に上手い。
私は相手に自分の弱みをみせないよう躍起になった。
「デブ」と罵られれば夏休みにプールで毎日ひたすら泳ぎ15キロ痩せた。
「バカ」と言われれば寝ずに教科書をすべて暗記して期末テストの学年順位を繰り上げた。
いま振り返れば狂気だけど、当時はそうすることでどうにか自尊心を保っていた気がする。
そんなハンドレッドパワー状態が長くつづくはずもなく、いろいろと弊害は出たものの気がつけば嵐のような学生時代は終わっていた。
大人になって社会に出てもいじめは存在した。
そりゃそうだ。いじめっ子が大人になるのだから。
子ども時代に人をいじめていた輩は、たとえ親や先生にどんだけ怒られようとも反省などしない。
職場での「いじめっ子」はいわゆるジャイアンではない。
仕事はきちんとこなし、狡猾で、人の好き嫌いが激しく、相手を責める理由やミスをみつけるのが上手い人。
ぱっと見は正論だから咎められないし、攻撃対象に少しでも不満をもつ人たちはまやかしの正義に直ぐ乗っかる。
根底はただのいじめっ子だけど、それを正当化する術をもっているから表面化しづらくタチが悪い。
長いこと平穏だった職場もそんないじめっ子が現れたことで一変した。
彼のターゲットにされた同僚は徐々に体調を崩し、最後は職場に近づくと涙が止まらなくなって辞めていった。
私は彼の本質に気づいていたので関わらないようにしていたし、同僚が追いつめられているときは微力ながらサポートに動いていたので、きっと次のターゲットは自分だろうなと思っていた。
そしてそれは現実となった。
彼は私がミスをする機会をヘビのように待ち、絶好のチャンスを手に入れたのだ。
そして鬼の首を取ったようにふれ回った。
私はとんでもなく気落ちした。
彼に餌を与えないよう細心の注意を払っていたのに、やらかしてしまったと。
でも相手はこちらの粗探しをしているので、遅かれ早かれそうなったのだろうけど。
偽りの「正当性」を手に入れたいじめっ子は、攻撃を開始した。
あいさつを無視する。ひとりにだけ冷たい態度をとる。みんなに伝える情報を教えない。
古典的だけど陰湿。
悔しいがストレスで胃が痛くて眠れなくなった。
楽しいはずの休日も月曜日のことを考えると酷く憂鬱だった。
なにより、20年経った今でも「いじめられっこ」から自分が抜け出せないという事実が悲しかった。
大人になって、心ない言葉や態度で人を傷つけるヤツがどれだけ愚かで小者だと分かっていても、一方的なダメージから身を守る術はないのかと。
気にしなければいい、と外野は言うかもしれないけど、いじめられる側にもハートはあるのだ。
若いときのように弱みを見せないように頑張っても、いつか限界がくる。
すべてを完璧にやり続けることはできない。
そう悟った私は奥さんのアドバイスもあって、闘い方を少し変えてみることにした。
今回の失敗のリカバリーに全力で取り組んだのだ。
迷惑をかけた先方へ懇切丁寧に謝罪をし、これまで積み上げてきたスキルを活かして事態の収束を図った。
すると何が起こったか。
いじめっ子のピカピカした「正当性」が音を立てて崩れて、ただの汚い「いやがらせ」になり下がったのだ。
人はミスをする。
しかしそれを真摯に受け止め、反省して修復しようとする人間を責める人はいない。
もしいたとしても、そちらが「厄介者」になる。
途端に彼のすべての攻撃が無力化した。
彼が私を攻撃すればするほどまわりは静かに引いていき、どんどん立場が悪くなる。
あきらかに空気が変わった。
形勢逆転という言葉がこんなにしっくりくる状況に出くわしたことがない。
ひたすら敵にボコられていた主人公がエクスカリバーを片手に立ち上がったような爽快感があった。
敵にもならないヤツからの攻撃など、もはや気にする必要もなくなっていた。
あんなに心を深く抉っていたはずの嫌がらせも西から東へスルー。
相手がイライラしながら墓穴を掘って自滅するのを見ていればよかった。
私は生まれてはじめて「いじめっ子」に勝ったのかもしれない。
若い頃にはなかった人間的な成長やキャリア、経験というたくさんの武器が、知らないうちにポケットに入っていたのだ。
私はもう素手で相手と戦わなくてよい。
そして、完璧じゃなくてもやり直せる。
もうひとつ気づいたことがある。
たいていの日和見の人たちはいじめっ子に立ち向かうこともないけど、誰かがいじめられているのを見るのを本当はあまり好きじゃないのだと思う。
だからいじめっ子の立場が少しでも揺らぐとやんわり離れていく。
それが日和見の人なりの抵抗と闘い方なのだ。
もちろん状況はそんなに変化したわけではないが、私に見える世界は大きく変わった。
奥さんにこの気持ちを伝えたら、「私は君の成長を横で見てきたのだから、そうなるって知っていたよ。」とニコニコしていたので、なんだか照れくさかった。
十五の君へ…じゃないが、10代の私とあの子に伝えたいこと。
もし今、あなたがイジメに悩んでいるのなら、プライドより品格を重んじて、まわりの人や友人たちを大切に。
特別な力はなくても、親切や誠実さは巡り巡っていつか自分を守る強靭な盾になる。
そして今日も私は元気に仕事へ行く。
この世からいじめっ子が消えることはないし、いじめられっこはいじめられっこのままかもしれないけど、それでいい。
たとえ中年になっても、鶴の構えから逆転のカウンターをキメることはできるのだ。
キックアス!!!